還流~負の歴史からの脱却~

<佐藤さん>市長になられて先生にとって、川崎はどのように変わって来たように実感していますか?

<阿部先生>市長になるまで、私自身、川崎については、余り良いイメージではありませんでした。 今でも「川崎ではマスクをしないと日常生活が出来ないのですか?」と言われる事がある位に、公害問題のイメージで見られる事があります。 川崎は産業・工業都市として100年の歴史があり、戦後、経済の発展に伴って、「公害」という大きな問題を抱えていました。その歴史は、否定のしようがない事実であり、私が市長になった頃は、厳しい公害規制が施行されて長く、公害問題は大幅に改善されてはいましたが、教科書等で、水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくと同じように川崎ぜんそくが紹介されている事もあり、公害都市というイメージから脱却しきれていなかったのが現状でした。


ただ、私の中では、それこそが川崎の歴史であり川崎の特徴のひとつと考えていました。 マイナスを経験した街だからこそ、そのマイナスの部分をプラスに転換する事が出来たらそれこそが大きな特徴となり、街全体の強みとなると。
川崎は今、世界有数の先端技術産業都市に変貌しており、公害問題については、ゼロからのスタートではなく、マイナスからのスタートで現在のプラスに上がって来ているという事から、加速度がそれだけ大きいと捉えられます。それだけ、川崎は他の都市と比べて、環境を良くする為の先進的な環境対策技術が蓄積されている証であり、また、多くの市民が努力した成果に繋がっている事の証でもあると言えます。 現在、アジア諸国・中国等ではものすごい公害問題に直面しており、川崎の経験は、そうした国々のモデルになる可能性を大いに秘めていると言えます。先日も公害を克服した事を是非参考にしたいという事で、中国の胡錦濤国家主席が来訪される等、産業・工業都市として、公害を経験し、そしてその問題を克服したという川崎の歴史こそが、国際社会への大きなアピールに繋がっている事を実感しました。 人間で例えれば、体が弱かった為、体を鍛え、そして誰よりも努力してオリンピック選手になった、仮にハンディキャップがあったとしても、それを克服する事で、そうでない人よりも強くなれる、川崎とはそういう街なのです。


川崎が持つ歴史。そして東京と横浜の中間に位置するアクセスの良さが際立つ川崎の立地。川崎は日本を代表する産業発展の中核都市として、今現在かつての工業地帯には大手企業の研究施設が数多く進出し、日々、世界最先端の研究開発が行われています。 日本経済や世界経済が鈍る中、川崎では成長分野をしっかり形作る事で、まさしく、国際社会の中で常に、トップを走る産業都市となる事を視野に入れています。 産業は何の為にあるのか。月に行く為の技術の進歩とかそういう事だけではなく、究極の目的は、人間がどう幸せになるかの為にあるものだと思っています。人間が幸せになるという事に貢献しない産業は、中間的なものであって最終的な産業にはなり得ない。 これからも、人々が快適に暮らせる為の研究開発、人間の健康寿命を延ばす為の薬品開発や医療器具の研究開発等、こうした人間の幸せに結び付く産業の振興も川崎の大きな特徴にしたいと考えています。

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